『紅白』のAdoに「カッコ良すぎる」絶賛の声も…姿かたちのない歌手が真に世の中から受け入れられるのだろうか? - 映画
げいのうまとめんぬ

『紅白』のAdoに「カッコ良すぎる」絶賛の声も…姿かたちのない歌手が真に世の中から受け入れられるのだろうか?

2024/01/07
映画 0
  • 大晦日のNHK『紅白歌合戦』で「唱」を披露したAdo。
  • 東本願寺の能舞台をプロジェクションマッピングとライティングが彩るなか、檻の中にシルエットのみで登場する演出は圧巻でした。
  • SNS上でも「永久保存版」とか「カッコ良すぎる」と絶賛の声が相次ぎ、今年4月の国立競技場でのライブ、そして全米デビューに向けてますます期待が高まっています。
  • NHKがYouTubeにアップロードした公式動画(『【Ado】「唱」紅白に降臨!圧巻の歌声が響き渡る!【紅白】|NHK』)の再生回数484万回(1月6日時点)が示すように、昨年の紅白ではダントツのインパクトを残したと言えるでしょう。
  • しかし、能舞台にプロジェクションマッピングという構図からもわかるように、どちらかといえば今は物珍しさが勝っている可能性はないでしょうか? 意地悪な言い方をすれば、みんなAdoの歌唱力はスゴいと言うけれど、しかしそれは極端な演出とセットでなければ伝わらない。
  • 人は歌手の歌を耳で聴いているようでいて、実はその他の感覚も使って総合的に味わっています。
  • Adoに似たタイプでは、海外ならSia(シーア)、日本のyamaなどが目隠しをして歌っています。
  • それでも彼女たちは一応舞台に姿を見せています。
  • まなざしが何を語るかは分からなくても、指先や筋肉のこわばりから曲のテンションが伝わってくる。
  • そう考えると、厳しい言い方になりますが現状Adoのしていることはライブパフォーマンスではなく音源のビジュアル化にとどまっているのではないでしょうか。

1:

https://joshi-spa.jp/1281167?cx_clicks_art_mdl=1_img


大晦日のNHK『紅白歌合戦』で「唱」を披露したAdo。東本願寺の能舞台をプロジェクションマッピングとライティングが彩るなか、檻の中にシルエットのみで登場する演出は圧巻でした。
SNS上でも「永久保存版」とか「カッコ良すぎる」と絶賛の声が相次ぎ、今年4月の国立競技場でのライブ、そして全米デビューに向けてますます期待が高まっています。

NHKがYouTubeにアップロードした公式動画(『【Ado】「唱」紅白に降臨!圧巻の歌声が響き渡る!【紅白】|NHK』)の再生回数484万回(1月6日時点)が示すように、昨年の紅白ではダントツのインパクトを残したと言えるでしょう。

しかし、思うところがないわけではありません。それは、Adoは永遠に姿を見せないままなのか、ということです。もちろん、そういうコンセプトのプレゼンテーションであり、それを前提にアーティストのシナリオが作られていることはわかります。

けれども、どれほど策を練ろうとも、姿かたちのない歌手が真に世の中から受け入れられるのだろうかという疑問は残るのですね。“こんなに大ヒットしているのに受け入れられるも何もないだろう”と思われるかもしれません。しかし、能舞台にプロジェクションマッピングという構図からもわかるように、どちらかといえば今は物珍しさが勝っている可能性はないでしょうか?

意地悪な言い方をすれば、みんなAdoの歌唱力はスゴいと言うけれど、しかしそれは極端な演出とセットでなければ伝わらない。歌を聴いているよりも、出し物に興奮している状態なのではないかと感じるのです。

人は視覚情報や表情・仕草での歌詞表現も“聴いて”いる

そうは言っても、先程も述べたように、Adoの実力に疑問があるわけではありません。しかしながら、それを吟味するための手がかりが姿を見せないことによって封じられてしまっている。それが惜しいし、もっと言えば音楽の本質に関わる問題だと思うのです。

人は歌手の歌を耳で聴いているようでいて、実はその他の感覚も使って総合的に味わっています。

たとえば、同じ高い音を出すのであっても、何事もなかったように涼しい顔で歌うのか、それともこめかみに血管を浮き立たせて汗だくで歌うのかでは、全く意味合いが異なります。そうした視覚情報もあわせて、歌や曲の持つ意味をなじませていくのですね。
歌詞の表現も同じです。悲しいことを歌うにも、表情や仕草は人それぞれ。発声方法やボーカルのテクニックよりも、人となりがわかる部分にこそ曲の解釈が如実にあらわれるものです。

音楽を聴くとは言うものの、多かれ少なかれそこに人を見ている。ただ技術や理論を確認するためでなく、各人の性格が息づく様子を“聴いて”いるのです。

Adoに似たタイプでは、海外ならSia(シーア)、日本のyamaなどが目隠しをして歌っています。それでも彼女たちは一応舞台に姿を見せています。

すべてさらけ出すわけではありませんが、自分の身ひとつでステージに立つというハードルはクリアしている。まなざしが何を語るかは分からなくても、指先や筋肉のこわばりから曲のテンションが伝わってくる。その瞬間に遭遇できること。それが音源とショーとの大きな違いです。

そう考えると、厳しい言い方になりますが現状Adoのしていることはライブパフォーマンスではなく音源のビジュアル化にとどまっているのではないでしょうか。ライブをしながら何も目撃させない

続きはソースをご覧ください

20:

>>1 https://joshi-spa.jp/1281167?cx_clicks_art_mdl=1_img


大晦日のNHK『紅白歌合戦』で「唱」を披露したAdo。東本願寺の能舞台をプロジェクションマッピングとライティングが彩るなか、檻の中にシルエットのみで登場する演出は圧巻でした。
SNS上でも「永久保存版」とか「カッコ良すぎる」と絶賛の声が相次ぎ、今年4月の国立競技場でのライブ、そして全米デビューに向けてますます期待が高まっています。

NHKがYouTubeにアップロードした公式動画(『【Ado】「唱」紅白に降臨!圧巻の歌声が響き渡る!【紅白】|NHK』)の再生回数484万回(1月6日時点)が示すように、昨年の紅白ではダントツのインパクトを残したと言えるでしょう。

しかし、思うところがないわけではありません。それは、Adoは永遠に姿を見せないままなのか、ということです。もちろん、そういうコンセプトのプレゼンテーションであり、それを前提にアーティストのシナリオが作られていることはわかります。

けれども、どれほど策を練ろうとも、姿かたちのない歌手が真に世の中から受け入れられるのだろうかという疑問は残るのですね。“こんなに大ヒットしているのに受け入れられるも何もないだろう”と思われるかもしれません。しかし、能舞台にプロジェクションマッピングという構図からもわかるように、どちらかといえば今は物珍しさが勝っている可能性はないでしょうか?

意地悪な言い方をすれば、みんなAdoの歌唱力はスゴいと言うけれど、しかしそれは極端な演出とセットでなければ伝わらない。歌を聴いているよりも、出し物に興奮している状態なのではないかと感じるのです。

人は視覚情報や表情・仕草での歌詞表現も“聴いて”いる

そうは言っても、先程も述べたように、Adoの実力に疑問があるわけではありません。しかしながら、それを吟味するための手がかりが姿を見せないことによって封じられてしまっている。それが惜しいし、もっと言えば音楽の本質に関わる問題だと思うのです。

人は歌手の歌を耳で聴いているようでいて、実はその他の感覚も使って総合的に味わっています。

たとえば、同じ高い音を出すのであっても、何事もなかったように涼しい顔で歌うのか、それともこめかみに血管を浮き立たせて汗だくで歌うのかでは、全く意味合いが異なります。そうした視覚情報もあわせて、歌や曲の持つ意味をなじませていくのですね。
歌詞の表現も同じです。悲しいことを歌うにも、表情や仕草は人それぞれ。発声方法やボーカルのテクニックよりも、人となりがわかる部分にこそ曲の解釈が如実にあらわれるものです。

音楽を聴くとは言うものの、多かれ少なかれそこに人を見ている。ただ技術や理論を確認するためでなく、各人の性格が息づく様子を“聴いて”いるのです。

Adoに似たタイプでは、海外ならSia(シーア)、日本のyamaなどが目隠しをして歌っています。それでも彼女たちは一応舞台に姿を見せています。

すべてさらけ出すわけではありませんが、自分の身ひとつでステージに立つというハードルはクリアしている。まなざしが何を語るかは分からなくても、指先や筋肉のこわばりから曲のテンションが伝わってくる。その瞬間に遭遇できること。それが音源とショーとの大きな違いです。

そう考えると、厳しい言い方になりますが現状Adoのしていることはライブパフォーマンスではなく音源のビジュアル化にとどまっているのではないでしょうか。ライブをしながら何も目撃させない

続きはソースをご覧ください


何を今更?グリーンとか一世風靡したろ

115:

>>1 https://joshi-spa.jp/1281167?cx_clicks_art_mdl=1_img


大晦日のNHK『紅白歌合戦』で「唱」を披露したAdo。東本願寺の能舞台をプロジェクションマッピングとライティングが彩るなか、檻の中にシルエットのみで登場する演出は圧巻でした。
SNS上でも「永久保存版」とか「カッコ良すぎる」と絶賛の声が相次ぎ、今年4月の国立競技場でのライブ、そして全米デビューに向けてますます期待が高まっています。

NHKがYouTubeにアップロードした公式動画(『【Ado】「唱」紅白に降臨!圧巻の歌声が響き渡る!【紅白】|NHK』)の再生回数484万回(1月6日時点)が示すように、昨年の紅白ではダントツのインパクトを残したと言えるでしょう。

しかし、思うところがないわけではありません。それは、Adoは永遠に姿を見せないままなのか、ということです。もちろん、そういうコンセプトのプレゼンテーションであり、それを前提にアーティストのシナリオが作られていることはわかります。

けれども、どれほど策を練ろうとも、姿かたちのない歌手が真に世の中から受け入れられるのだろうかという疑問は残るのですね。“こんなに大ヒットしているのに受け入れられるも何もないだろう”と思われるかもしれません。しかし、能舞台にプロジェクションマッピングという構図からもわかるように、どちらかといえば今は物珍しさが勝っている可能性はないでしょうか?

意地悪な言い方をすれば、みんなAdoの歌唱力はスゴいと言うけれど、しかしそれは極端な演出とセットでなければ伝わらない。歌を聴いているよりも、出し物に興奮している状態なのではないかと感じるのです。

人は視覚情報や表情・仕草での歌詞表現も“聴いて”いる

そうは言っても、先程も述べたように、Adoの実力に疑問があるわけではありません。しかしながら、それを吟味するための手がかりが姿を見せないことによって封じられてしまっている。それが惜しいし、もっと言えば音楽の本質に関わる問題だと思うのです。

人は歌手の歌を耳で聴いているようでいて、実はその他の感覚も使って総合的に味わっています。

たとえば、同じ高い音を出すのであっても、何事もなかったように涼しい顔で歌うのか、それともこめかみに血管を浮き立たせて汗だくで歌うのかでは、全く意味合いが異なります。そうした視覚情報もあわせて、歌や曲の持つ意味をなじませていくのですね。
歌詞の表現も同じです。悲しいことを歌うにも、表情や仕草は人それぞれ。発声方法やボーカルのテクニックよりも、人となりがわかる部分にこそ曲の解釈が如実にあらわれるものです。

音楽を聴くとは言うものの、多かれ少なかれそこに人を見ている。ただ技術や理論を確認するためでなく、各人の性格が息づく様子を“聴いて”いるのです。

Adoに似たタイプでは、海外ならSia(シーア)、日本のyamaなどが目隠しをして歌っています。それでも彼女たちは一応舞台に姿を見せています。

すべてさらけ出すわけではありませんが、自分の身ひとつでステージに立つというハードルはクリアしている。まなざしが何を語るかは分からなくても、指先や筋肉のこわばりから曲のテンションが伝わってくる。その瞬間に遭遇できること。それが音源とショーとの大きな違いです。

そう考えると、厳しい言い方になりますが現状Adoのしていることはライブパフォーマンスではなく音源のビジュアル化にとどまっているのではないでしょうか。ライブをしながら何も目撃させない

続きはソースをご覧ください


紅白最後のフィニッシュポーズがださかった
顔出したくないなら仮面かぶって口だけ出して出演するのすらも何でダメなんだろ
顔隠すだけじゃなくて顔以外も体すら見られたくないならTV出演自体断ればいいのにと思っちゃう

129:

>>1 https://joshi-spa.jp/1281167?cx_clicks_art_mdl=1_img


大晦日のNHK『紅白歌合戦』で「唱」を披露したAdo。東本願寺の能舞台をプロジェクションマッピングとライティングが彩るなか、檻の中にシルエットのみで登場する演出は圧巻でした。
SNS上でも「永久保存版」とか「カッコ良すぎる」と絶賛の声が相次ぎ、今年4月の国立競技場でのライブ、そして全米デビューに向けてますます期待が高まっています。

NHKがYouTubeにアップロードした公式動画(『【Ado】「唱」紅白に降臨!圧巻の歌声が響き渡る!【紅白】|NHK』)の再生回数484万回(1月6日時点)が示すように、昨年の紅白ではダントツのインパクトを残したと言えるでしょう。

しかし、思うところがないわけではありません。それは、Adoは永遠に姿を見せないままなのか、ということです。もちろん、そういうコンセプトのプレゼンテーションであり、それを前提にアーティストのシナリオが作られていることはわかります。

けれども、どれほど策を練ろうとも、姿かたちのない歌手が真に世の中から受け入れられるのだろうかという疑問は残るのですね。“こんなに大ヒットしているのに受け入れられるも何もないだろう”と思われるかもしれません。しかし、能舞台にプロジェクションマッピングという構図からもわかるように、どちらかといえば今は物珍しさが勝っている可能性はないでしょうか?

意地悪な言い方をすれば、みんなAdoの歌唱力はスゴいと言うけれど、しかしそれは極端な演出とセットでなければ伝わらない。歌を聴いているよりも、出し物に興奮している状態なのではないかと感じるのです。

人は視覚情報や表情・仕草での歌詞表現も“聴いて”いる

そうは言っても、先程も述べたように、Adoの実力に疑問があるわけではありません。しかしながら、それを吟味するための手がかりが姿を見せないことによって封じられてしまっている。それが惜しいし、もっと言えば音楽の本質に関わる問題だと思うのです。

人は歌手の歌を耳で聴いているようでいて、実はその他の感覚も使って総合的に味わっています。

たとえば、同じ高い音を出すのであっても、何事もなかったように涼しい顔で歌うのか、それともこめかみに血管を浮き立たせて汗だくで歌うのかでは、全く意味合いが異なります。そうした視覚情報もあわせて、歌や曲の持つ意味をなじませていくのですね。
歌詞の表現も同じです。悲しいことを歌うにも、表情や仕草は人それぞれ。発声方法やボーカルのテクニックよりも、人となりがわかる部分にこそ曲の解釈が如実にあらわれるものです。

音楽を聴くとは言うものの、多かれ少なかれそこに人を見ている。ただ技術や理論を確認するためでなく、各人の性格が息づく様子を“聴いて”いるのです。

Adoに似たタイプでは、海外ならSia(シーア)、日本のyamaなどが目隠しをして歌っています。それでも彼女たちは一応舞台に姿を見せています。

すべてさらけ出すわけではありませんが、自分の身ひとつでステージに立つというハードルはクリアしている。まなざしが何を語るかは分からなくても、指先や筋肉のこわばりから曲のテンションが伝わってくる。その瞬間に遭遇できること。それが音源とショーとの大きな違いです。

そう考えると、厳しい言い方になりますが現状Adoのしていることはライブパフォーマンスではなく音源のビジュアル化にとどまっているのではないでしょうか。ライブをしながら何も目撃させない

続きはソースをご覧ください


なんでそんなに姿見たがるのよスケベ

255:

>>1 https://joshi-spa.jp/1281167?cx_clicks_art_mdl=1_img


大晦日のNHK『紅白歌合戦』で「唱」を披露したAdo。東本願寺の能舞台をプロジェクションマッピングとライティングが彩るなか、檻の中にシルエットのみで登場する演出は圧巻でした。
SNS上でも「永久保存版」とか「カッコ良すぎる」と絶賛の声が相次ぎ、今年4月の国立競技場でのライブ、そして全米デビューに向けてますます期待が高まっています。

NHKがYouTubeにアップロードした公式動画(『【Ado】「唱」紅白に降臨!圧巻の歌声が響き渡る!【紅白】|NHK』)の再生回数484万回(1月6日時点)が示すように、昨年の紅白ではダントツのインパクトを残したと言えるでしょう。

しかし、思うところがないわけではありません。それは、Adoは永遠に姿を見せないままなのか、ということです。もちろん、そういうコンセプトのプレゼンテーションであり、それを前提にアーティストのシナリオが作られていることはわかります。

けれども、どれほど策を練ろうとも、姿かたちのない歌手が真に世の中から受け入れられるのだろうかという疑問は残るのですね。“こんなに大ヒットしているのに受け入れられるも何もないだろう”と思われるかもしれません。しかし、能舞台にプロジェクションマッピングという構図からもわかるように、どちらかといえば今は物珍しさが勝っている可能性はないでしょうか?

意地悪な言い方をすれば、みんなAdoの歌唱力はスゴいと言うけれど、しかしそれは極端な演出とセットでなければ伝わらない。歌を聴いているよりも、出し物に興奮している状態なのではないかと感じるのです。

人は視覚情報や表情・仕草での歌詞表現も“聴いて”いる

そうは言っても、先程も述べたように、Adoの実力に疑問があるわけではありません。しかしながら、それを吟味するための手がかりが姿を見せないことによって封じられてしまっている。それが惜しいし、もっと言えば音楽の本質に関わる問題だと思うのです。

人は歌手の歌を耳で聴いているようでいて、実はその他の感覚も使って総合的に味わっています。

たとえば、同じ高い音を出すのであっても、何事もなかったように涼しい顔で歌うのか、それともこめかみに血管を浮き立たせて汗だくで歌うのかでは、全く意味合いが異なります。そうした視覚情報もあわせて、歌や曲の持つ意味をなじませていくのですね。
歌詞の表現も同じです。悲しいことを歌うにも、表情や仕草は人それぞれ。発声方法やボーカルのテクニックよりも、人となりがわかる部分にこそ曲の解釈が如実にあらわれるものです。

音楽を聴くとは言うものの、多かれ少なかれそこに人を見ている。ただ技術や理論を確認するためでなく、各人の性格が息づく様子を“聴いて”いるのです。

Adoに似たタイプでは、海外ならSia(シーア)、日本のyamaなどが目隠しをして歌っています。それでも彼女たちは一応舞台に姿を見せています。

すべてさらけ出すわけではありませんが、自分の身ひとつでステージに立つというハードルはクリアしている。まなざしが何を語るかは分からなくても、指先や筋肉のこわばりから曲のテンションが伝わってくる。その瞬間に遭遇できること。それが音源とショーとの大きな違いです。

そう考えると、厳しい言い方になりますが現状Adoのしていることはライブパフォーマンスではなく音源のビジュアル化にとどまっているのではないでしょうか。ライブをしながら何も目撃させない

続きはソースをご覧ください


ダンサーを本人と誤解させる演出はやめろ

597:

>>1 https://joshi-spa.jp/1281167?cx_clicks_art_mdl=1_img


大晦日のNHK『紅白歌合戦』で「唱」を披露したAdo。東本願寺の能舞台をプロジェクションマッピングとライティングが彩るなか、檻の中にシルエットのみで登場する演出は圧巻でした。
SNS上でも「永久保存版」とか「カッコ良すぎる」と絶賛の声が相次ぎ、今年4月の国立競技場でのライブ、そして全米デビューに向けてますます期待が高まっています。

NHKがYouTubeにアップロードした公式動画(『【Ado】「唱」紅白に降臨!圧巻の歌声が響き渡る!【紅白】|NHK』)の再生回数484万回(1月6日時点)が示すように、昨年の紅白ではダントツのインパクトを残したと言えるでしょう。

しかし、思うところがないわけではありません。それは、Adoは永遠に姿を見せないままなのか、ということです。もちろん、そういうコンセプトのプレゼンテーションであり、それを前提にアーティストのシナリオが作られていることはわかります。

けれども、どれほど策を練ろうとも、姿かたちのない歌手が真に世の中から受け入れられるのだろうかという疑問は残るのですね。“こんなに大ヒットしているのに受け入れられるも何もないだろう”と思われるかもしれません。しかし、能舞台にプロジェクションマッピングという構図からもわかるように、どちらかといえば今は物珍しさが勝っている可能性はないでしょうか?

意地悪な言い方をすれば、みんなAdoの歌唱力はスゴいと言うけれど、しかしそれは極端な演出とセットでなければ伝わらない。歌を聴いているよりも、出し物に興奮している状態なのではないかと感じるのです。

人は視覚情報や表情・仕草での歌詞表現も“聴いて”いる

そうは言っても、先程も述べたように、Adoの実力に疑問があるわけではありません。しかしながら、それを吟味するための手がかりが姿を見せないことによって封じられてしまっている。それが惜しいし、もっと言えば音楽の本質に関わる問題だと思うのです。

人は歌手の歌を耳で聴いているようでいて、実はその他の感覚も使って総合的に味わっています。

たとえば、同じ高い音を出すのであっても、何事もなかったように涼しい顔で歌うのか、それともこめかみに血管を浮き立たせて汗だくで歌うのかでは、全く意味合いが異なります。そうした視覚情報もあわせて、歌や曲の持つ意味をなじませていくのですね。
歌詞の表現も同じです。悲しいことを歌うにも、表情や仕草は人それぞれ。発声方法やボーカルのテクニックよりも、人となりがわかる部分にこそ曲の解釈が如実にあらわれるものです。

音楽を聴くとは言うものの、多かれ少なかれそこに人を見ている。ただ技術や理論を確認するためでなく、各人の性格が息づく様子を“聴いて”いるのです。

Adoに似たタイプでは、海外ならSia(シーア)、日本のyamaなどが目隠しをして歌っています。それでも彼女たちは一応舞台に姿を見せています。

すべてさらけ出すわけではありませんが、自分の身ひとつでステージに立つというハードルはクリアしている。まなざしが何を語るかは分からなくても、指先や筋肉のこわばりから曲のテンションが伝わってくる。その瞬間に遭遇できること。それが音源とショーとの大きな違いです。

そう考えると、厳しい言い方になりますが現状Adoのしていることはライブパフォーマンスではなく音源のビジュアル化にとどまっているのではないでしょうか。ライブをしながら何も目撃させない

続きはソースをご覧ください


大黒摩季がいるからな

748:

>>1 https://joshi-spa.jp/1281167?cx_clicks_art_mdl=1_img


大晦日のNHK『紅白歌合戦』で「唱」を披露したAdo。東本願寺の能舞台をプロジェクションマッピングとライティングが彩るなか、檻の中にシルエットのみで登場する演出は圧巻でした。
SNS上でも「永久保存版」とか「カッコ良すぎる」と絶賛の声が相次ぎ、今年4月の国立競技場でのライブ、そして全米デビューに向けてますます期待が高まっています。

NHKがYouTubeにアップロードした公式動画(『【Ado】「唱」紅白に降臨!圧巻の歌声が響き渡る!【紅白】|NHK』)の再生回数484万回(1月6日時点)が示すように、昨年の紅白ではダントツのインパクトを残したと言えるでしょう。

しかし、思うところがないわけではありません。それは、Adoは永遠に姿を見せないままなのか、ということです。もちろん、そういうコンセプトのプレゼンテーションであり、それを前提にアーティストのシナリオが作られていることはわかります。

けれども、どれほど策を練ろうとも、姿かたちのない歌手が真に世の中から受け入れられるのだろうかという疑問は残るのですね。“こんなに大ヒットしているのに受け入れられるも何もないだろう”と思われるかもしれません。しかし、能舞台にプロジェクションマッピングという構図からもわかるように、どちらかといえば今は物珍しさが勝っている可能性はないでしょうか?

意地悪な言い方をすれば、みんなAdoの歌唱力はスゴいと言うけれど、しかしそれは極端な演出とセットでなければ伝わらない。歌を聴いているよりも、出し物に興奮している状態なのではないかと感じるのです。

人は視覚情報や表情・仕草での歌詞表現も“聴いて”いる

そうは言っても、先程も述べたように、Adoの実力に疑問があるわけではありません。しかしながら、それを吟味するための手がかりが姿を見せないことによって封じられてしまっている。それが惜しいし、もっと言えば音楽の本質に関わる問題だと思うのです。

人は歌手の歌を耳で聴いているようでいて、実はその他の感覚も使って総合的に味わっています。

たとえば、同じ高い音を出すのであっても、何事もなかったように涼しい顔で歌うのか、それともこめかみに血管を浮き立たせて汗だくで歌うのかでは、全く意味合いが異なります。そうした視覚情報もあわせて、歌や曲の持つ意味をなじませていくのですね。
歌詞の表現も同じです。悲しいことを歌うにも、表情や仕草は人それぞれ。発声方法やボーカルのテクニックよりも、人となりがわかる部分にこそ曲の解釈が如実にあらわれるものです。

音楽を聴くとは言うものの、多かれ少なかれそこに人を見ている。ただ技術や理論を確認するためでなく、各人の性格が息づく様子を“聴いて”いるのです。

Adoに似たタイプでは、海外ならSia(シーア)、日本のyamaなどが目隠しをして歌っています。それでも彼女たちは一応舞台に姿を見せています。

すべてさらけ出すわけではありませんが、自分の身ひとつでステージに立つというハードルはクリアしている。まなざしが何を語るかは分からなくても、指先や筋肉のこわばりから曲のテンションが伝わってくる。その瞬間に遭遇できること。それが音源とショーとの大きな違いです。

そう考えると、厳しい言い方になりますが現状Adoのしていることはライブパフォーマンスではなく音源のビジュアル化にとどまっているのではないでしょうか。ライブをしながら何も目撃させない

続きはソースをご覧ください


かっこいいどブスってこと?

(`・ω・´)σ꜆꜄꜆ 他のコメント

36:

声色のモネマネはできても、あのAdoの異常なリズム感は無理なんよ

例えば、スーパーのBGMで、Adoの歌がかかってきても明らかに異質だからね

人間の日常生活に1970年前後のゴリゴリのジェームス・ブラウンの曲がかかってるような感じ

68:

皆様、失礼いたします。
”姿かたち”ですがシルエットは見えているので
何%かは見せていただいていると受け止めた場合
現状はこのようなスタイルの歌い手さんと認識して
おります。

163:

初めて見たが良かったよ。スタイル良さそうだったし顔は別に要らないな。しかし、あの声はすごい訓練された技術だね。歌が上手い下手とは違う。機械的というかさ。デジタル加工の声が出せる技術者って感じ。たぶんもともととても上手い歌手と思う。彼女の声に技術やアイデアを載せたレコード会社の努力の賜物のパフォーミングアートという感じ。紅白はたまにこういうびっくりするような歌手が作品と一体化したアートが見られる。

178:

>>163 初めて見たが良かったよ。スタイル良さそうだったし顔は別に要らないな。しかし、あの声はすごい訓練された技術だね。歌が上手い下手とは違う。機械的というかさ。デジタル加工の声が出せる技術者って感じ。たぶんもともととても上手い歌手と思う。彼女の声に技術やアイデアを載せたレコード会社の努力の賜物のパフォーミングアートという感じ。紅白はたまにこういうびっくりするような歌手が作品と一体化したアートが見られる。


むしろ民謡とか日本の伝統的な上手さに近い歌唱法って思うけどな

199:

>>163 初めて見たが良かったよ。スタイル良さそうだったし顔は別に要らないな。しかし、あの声はすごい訓練された技術だね。歌が上手い下手とは違う。機械的というかさ。デジタル加工の声が出せる技術者って感じ。たぶんもともととても上手い歌手と思う。彼女の声に技術やアイデアを載せたレコード会社の努力の賜物のパフォーミングアートという感じ。紅白はたまにこういうびっくりするような歌手が作品と一体化したアートが見られる。


ちゅーか何も見えてないんだから何でもできるだろ

186:

今の時代、もうテレビで音楽を、歌手を見聞きする時代じゃないんでしょ
特に、百パーの参道はできないが、タイパ、コスパが重視される世代においては
音楽に対して、集中して聴き込むものではなく
BGM、ながらのひとつになっている
だから、顔が見えなくても何も困らない

215:

この曲をどういう風に歌う?っていうところでAdoの歌い方は創意工夫されてて、聴いていてとても面白い
顔見せずに映像だけ流してる歌手は他にもいるし、amazarashiやEVEなんかもそんな感じのライブじゃなかったっけ
今はそうい時代なのでこの記事書いてる奴の感覚が古いのでは?
能舞台にプロジェクションマッピングいいじゃん

323:

Adoというのは、例えばネットで、「紅白のAdoの唱、前半飛ばしすぎて、後半疲れてたなww」という「録音」を流すことも可能なんだよ

だから顔出さないのは絶対にダメ。たとえ口パクでもな

330:

>>323 Adoというのは、例えばネットで、「紅白のAdoの唱、前半飛ばしすぎて、後半疲れてたなww」という「録音」を流すことも可能なんだよ

だから顔出さないのは絶対にダメ。たとえ口パクでもな


なんでソレがダメなのかわからない

343:

>>330 なんでソレがダメなのかわからない

生物感が無いからじゃね
AI美空ひばりとかを違和感なく受け入れられる人はこういう一切表に出てこない手法もいけると思う
って言うかこれからは主流の一つになると思うけどねこういう現実感無いアーティスト

366:

>>330 なんでソレがダメなのかわからない


アスペかよ

384:

>>366 アスペかよ


逆に聴きたいんだけどなんで生歌じゃなきゃあかんの?

388:

>>384 逆に聴きたいんだけどなんで生歌じゃなきゃあかんの?


テレビの歌番組に出るのならばな歌えないなら出なければいい

405:

>>384 逆に聴きたいんだけどなんで生歌じゃなきゃあかんの?


だってボカロを越える歌声を持つと言われてデビューしたのがadoさんとyoasobiさんじゃんか
それで生歌じゃないなんてありえねーだろw

口パクでも顔だけは出してる秋元軍団以下w

金出して応援してるのヤバい奴だけw

353:

このスレにもたくさんいるけどこの子の支持者があと2、3年しても同じように応援してればいいけどな
こういうらやつらこそすぐ終わったとかオワコンとか言って新しい奴らに乗り換えるから
そういうのをたくさん見てきたよ2000年以降の歌手で

504:

顔が見えるか見えないかにこだわる人間は普段音楽聴かないんだわ

音楽は聴くんだから

あと、口パクがどうたらいう奴は音楽知らなすぎ
音楽知らないくせに音楽を知ってるように口パク言うと思われると考えてる

仮に世界のどこかのメーカーがAdoのような歌に聴こえるように加工できるソフト開発したら、世界中の音楽ディレクターがそのソフトを買うから 笑

538:

そういえばあいみょんが昨日のラジオで面白いことを言っていた
ファンが紅白でのあいみょんの一挙手一投足を見ていて
あいみょんがある意味、あきれていた。「みんな、見過ぎ、そんな細かいところまでよく見ている」と
言って、その時々のあいみょんの動きの説明をしていた

ファンはその動きも見て(視覚的に)より歌手(タレント)をすきになるんだよね

703:

>>538 そういえばあいみょんが昨日のラジオで面白いことを言っていた
ファンが紅白でのあいみょんの一挙手一投足を見ていて
あいみょんがある意味、あきれていた。「みんな、見過ぎ、そんな細かいところまでよく見ている」と
言って、その時々のあいみょんの動きの説明をしていた

ファンはその動きも見て(視覚的に)より歌手(タレント)をすきになるんだよね


そういえば今朝nhk出てたけど、大御所二人に
気を遣ってるのが画面を通してもろ出てるんよね
みんなが細かいところを見てるというより、
見せちゃってるんだと思う

557:

歌い方も歌詞もパフォーマンスも演出も全部が全部「あ~いかにも中学生とかが好きそうだな」っていう印象しかなかった
たぶん、高校、大学と年齢を重ねていくにつれて、「なんであんな歌をありがたがって聞いてたんだろう…?」って思い出すたびに過去の自分が恥ずかしくなるような

617:

🐵でも解るAdo解説

Q.なんで顔出ししないの?

A.本人曰く極度のコンプレックスを抱えていて精神的な問題です。

Q.それなら何故、表に出ようとするの?

A.それは宣伝の為です。
ライブツアーや新曲の宣伝、ドラマや映画のタイアップの為に視聴率という形でテレビ局に協力しないといけないのです。

623:

>>617 🐵でも解るAdo解説

Q.なんで顔出ししないの?

A.本人曰く極度のコンプレックスを抱えていて精神的な問題です。

Q.それなら何故、表に出ようとするの?

A.それは宣伝の為です。
ライブツアーや新曲の宣伝、ドラマや映画のタイアップの為に視聴率という形でテレビ局に協力しないといけないのです。


コンサートはテレビ関係ないじゃん

651:

>>617 🐵でも解るAdo解説

Q.なんで顔出ししないの?

A.本人曰く極度のコンプレックスを抱えていて精神的な問題です。

Q.それなら何故、表に出ようとするの?

A.それは宣伝の為です。
ライブツアーや新曲の宣伝、ドラマや映画のタイアップの為に視聴率という形でテレビ局に協力しないといけないのです。


めちゃくちゃブスって解釈するけどいいの?

654:

歌の上手さはプロ歌手の中でも最上位レベルだけど
確かに顔出しNGだといつまで話題がもつか・・
将来的に、素性を明かす事をテコ入れの際の手段にするのかと勘ぐってた

661:

>>654 歌の上手さはプロ歌手の中でも最上位レベルだけど
確かに顔出しNGだといつまで話題がもつか・・
将来的に、素性を明かす事をテコ入れの際の手段にするのかと勘ぐってた


無加工かどうかもわからんのに最上位とか言っちゃってただのファン?

663:

>>654 歌の上手さはプロ歌手の中でも最上位レベルだけど
確かに顔出しNGだといつまで話題がもつか・・
将来的に、素性を明かす事をテコ入れの際の手段にするのかと勘ぐってた


うっせぇわで2020年だぞ
3年以上もってるなら充分だろ…

656:

B'z「彼女の歌唱力、表現力は若手のアーティストの中でも群を抜いて素晴らしいと感じています。」

椎名林檎
「『なんと理想的などら猫声なんだ』と慄きました」

「二十五年前、拙作無罪モラトリアム(編注:ファーストアルバム)を出してしまう前にこの響きに出会せていたら、ぜんぶ彼女に歌ってもらっただろうとも思います」

691:

>>656 B'z「彼女の歌唱力、表現力は若手のアーティストの中でも群を抜いて素晴らしいと感じています。」

椎名林檎
「『なんと理想的などら猫声なんだ』と慄きました」

「二十五年前、拙作無罪モラトリアム(編注:ファーストアルバム)を出してしまう前にこの響きに出会せていたら、ぜんぶ彼女に歌ってもらっただろうとも思います」


これが名誉なことなのか全く分からんwww

853:

>みんなAdoの歌唱力はスゴいと言うけれど、しかしそれは極端な演出と
>セットでなければ伝わらない。歌を聴いているよりも、出し物に興奮している状態なのではないか

こいつバカそのものだな

863:

>>853 >みんなAdoの歌唱力はスゴいと言うけれど、しかしそれは極端な演出と
>セットでなければ伝わらない。歌を聴いているよりも、出し物に興奮している状態なのではないか

こいつバカそのものだな


ちゃんと反論して?

881:

>>863 ちゃんと反論して?


誰もがAdoのテレビ出演を見て語ってるのは歌唱力の異常なまでの高さだ
踊りながらというのもすごいけど、姿はしょせんシルエットなのだから
そこにあまり注目してもしょうがないわけで
みんな歌唱力と喉の強さに驚嘆してるのがわかる
演出がどうこうとか言ってるやつはあまりいない
引用元: https://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/mnewsplus/1704527801

Comments 0

コメントはまだありません。