元新日本プロレス木戸修さん死去73歳「キド・クラッチ」いぶし銀の活躍 娘はゴルファー木戸愛 - 芸能人
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元新日本プロレス木戸修さん死去73歳「キド・クラッチ」いぶし銀の活躍 娘はゴルファー木戸愛

2023/12/15
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  • 日刊スポーツ2023年12月14日17時5分 新日本プロレスで活躍し「いぶし銀」として知られた元プロレスラー木戸修さんが死去したことが14日、分かった。
  • 11日の午後10時過ぎ、神奈川・横須賀市内の病院で亡くなった。
  • 同日、容体が急変し、自宅から救急搬送されて息を引き取った。
  • 関係者によると、数年前から、がんを患っており、抗がん剤治療などを受け続けていたという。
  • 娘にはツアー1勝のプロゴルファー木戸愛(33)がいる。
  • 遺族の意向で、通夜・葬儀は近親者のみで執り行う。
  • 68年10月に日本プロレスに入門し、69年2月にデビューした木戸さんはアントニオ猪木、藤波辰爾らと日本プロレスを退団し、72年3月、新日本の旗揚げメンバーとして参加。
  • プロとなった愛のツアーにも帯同し、送迎などを担当しながら18ホールを歩いて応援。
  • 自宅でトレーニングを続けていることも明かしていた。
  • 05年にはビッグマウス・ラウド、08年6月には全日本プロレスで、西村修、松田納(エル・サムライ)とのユニット「オサム軍団」として出場。

1:

日刊スポーツ2023年12月14日17時5分
https://www.nikkansports.com/battle/news/202312140000643.html

新日本プロレスで活躍し「いぶし銀」として知られた元プロレスラー木戸修さんが死去したことが14日、分かった。11日の午後10時過ぎ、神奈川・横須賀市内の病院で亡くなった。73歳だった。同日、容体が急変し、自宅から救急搬送されて息を引き取った。

関係者によると、数年前から、がんを患っており、抗がん剤治療などを受け続けていたという。

娘にはツアー1勝のプロゴルファー木戸愛(33)がいる。遺族の意向で、通夜・葬儀は近親者のみで執り行う。

68年10月に日本プロレスに入門し、69年2月にデビューした木戸さんはアントニオ猪木、藤波辰爾らと日本プロレスを退団し、72年3月、新日本の旗揚げメンバーとして参加。75年6月に藤波とともに海外修行でドイツに渡って8カ月間、参戦。その後、米国で「プロレスの神様」カール・ゴッチからレスリング技術を学んだ。帰国後はグラウンド(寝技)テクニック、関節技を中心としたファイトを展開し、84年から第1次UWFにも参加。85年に新日本に復帰すると、86年8月には前田日明とIWGPタッグ王座も獲得した。

90年2月には全日本プロレスとの対抗戦で木村健悟と組み、ジャンボ鶴田、谷津嘉章組と対戦。92年からは天龍源一郎率いるWAR勢との対抗戦でも実力を発揮した。01年11月、横浜文化体育館で33年間の現役生活に終止符を打った。その後、コーチとして新日本に残り、現在、米プロレス団体WWEのトップレスラーとして活躍する中邑真輔らを育成した。

現役引退後、ゴルファーを目指した娘・愛の育成も力を注ぎ、ジュニア時代は車の送迎役も買って出た。プロとなった愛のツアーにも帯同し、送迎などを担当しながら18ホールを歩いて応援。自宅でトレーニングを続けていることも明かしていた。

また一時的に現役にも復帰。05年にはビッグマウス・ラウド、08年6月には全日本プロレスで、西村修、松田納(エル・サムライ)とのユニット「オサム軍団」として出場。10年2月にはアントニオ猪木が旗揚げしたIGFにも参戦していた。

57:

>>1 日刊スポーツ2023年12月14日17時5分
https://www.nikkansports.com/battle/news/202312140000643.html

新日本プロレスで活躍し「いぶし銀」として知られた元プロレスラー木戸修さんが死去したことが14日、分かった。11日の午後10時過ぎ、神奈川・横須賀市内の病院で亡くなった。73歳だった。同日、容体が急変し、自宅から救急搬送されて息を引き取った。

関係者によると、数年前から、がんを患っており、抗がん剤治療などを受け続けていたという。

娘にはツアー1勝のプロゴルファー木戸愛(33)がいる。遺族の意向で、通夜・葬儀は近親者のみで執り行う。

68年10月に日本プロレスに入門し、69年2月にデビューした木戸さんはアントニオ猪木、藤波辰爾らと日本プロレスを退団し、72年3月、新日本の旗揚げメンバーとして参加。75年6月に藤波とともに海外修行でドイツに渡って8カ月間、参戦。その後、米国で「プロレスの神様」カール・ゴッチからレスリング技術を学んだ。帰国後はグラウンド(寝技)テクニック、関節技を中心としたファイトを展開し、84年から第1次UWFにも参加。85年に新日本に復帰すると、86年8月には前田日明とIWGPタッグ王座も獲得した。

90年2月には全日本プロレスとの対抗戦で木村健悟と組み、ジャンボ鶴田、谷津嘉章組と対戦。92年からは天龍源一郎率いるWAR勢との対抗戦でも実力を発揮した。01年11月、横浜文化体育館で33年間の現役生活に終止符を打った。その後、コーチとして新日本に残り、現在、米プロレス団体WWEのトップレスラーとして活躍する中邑真輔らを育成した。

現役引退後、ゴルファーを目指した娘・愛の育成も力を注ぎ、ジュニア時代は車の送迎役も買って出た。プロとなった愛のツアーにも帯同し、送迎などを担当しながら18ホールを歩いて応援。自宅でトレーニングを続けていることも明かしていた。

また一時的に現役にも復帰。05年にはビッグマウス・ラウド、08年6月には全日本プロレスで、西村修、松田納(エル・サムライ)とのユニット「オサム軍団」として出場。10年2月にはアントニオ猪木が旗揚げしたIGFにも参戦していた。


合掌🙏
確か燻銀の御息女様がお綺麗だった印象が・・

85:

>>1 日刊スポーツ2023年12月14日17時5分
https://www.nikkansports.com/battle/news/202312140000643.html

新日本プロレスで活躍し「いぶし銀」として知られた元プロレスラー木戸修さんが死去したことが14日、分かった。11日の午後10時過ぎ、神奈川・横須賀市内の病院で亡くなった。73歳だった。同日、容体が急変し、自宅から救急搬送されて息を引き取った。

関係者によると、数年前から、がんを患っており、抗がん剤治療などを受け続けていたという。

娘にはツアー1勝のプロゴルファー木戸愛(33)がいる。遺族の意向で、通夜・葬儀は近親者のみで執り行う。

68年10月に日本プロレスに入門し、69年2月にデビューした木戸さんはアントニオ猪木、藤波辰爾らと日本プロレスを退団し、72年3月、新日本の旗揚げメンバーとして参加。75年6月に藤波とともに海外修行でドイツに渡って8カ月間、参戦。その後、米国で「プロレスの神様」カール・ゴッチからレスリング技術を学んだ。帰国後はグラウンド(寝技)テクニック、関節技を中心としたファイトを展開し、84年から第1次UWFにも参加。85年に新日本に復帰すると、86年8月には前田日明とIWGPタッグ王座も獲得した。

90年2月には全日本プロレスとの対抗戦で木村健悟と組み、ジャンボ鶴田、谷津嘉章組と対戦。92年からは天龍源一郎率いるWAR勢との対抗戦でも実力を発揮した。01年11月、横浜文化体育館で33年間の現役生活に終止符を打った。その後、コーチとして新日本に残り、現在、米プロレス団体WWEのトップレスラーとして活躍する中邑真輔らを育成した。

現役引退後、ゴルファーを目指した娘・愛の育成も力を注ぎ、ジュニア時代は車の送迎役も買って出た。プロとなった愛のツアーにも帯同し、送迎などを担当しながら18ホールを歩いて応援。自宅でトレーニングを続けていることも明かしていた。

また一時的に現役にも復帰。05年にはビッグマウス・ラウド、08年6月には全日本プロレスで、西村修、松田納(エル・サムライ)とのユニット「オサム軍団」として出場。10年2月にはアントニオ猪木が旗揚げしたIGFにも参戦していた。


73歳か、最近だと若く感じるが、長生きしすぎて、痴ほう症なんかになるよりは、惜しまれつつ死ぬには一番いい頃なんじゃないかと感じる。

御悔やみ申し上げます。

159:

>>1 日刊スポーツ2023年12月14日17時5分
https://www.nikkansports.com/battle/news/202312140000643.html

新日本プロレスで活躍し「いぶし銀」として知られた元プロレスラー木戸修さんが死去したことが14日、分かった。11日の午後10時過ぎ、神奈川・横須賀市内の病院で亡くなった。73歳だった。同日、容体が急変し、自宅から救急搬送されて息を引き取った。

関係者によると、数年前から、がんを患っており、抗がん剤治療などを受け続けていたという。

娘にはツアー1勝のプロゴルファー木戸愛(33)がいる。遺族の意向で、通夜・葬儀は近親者のみで執り行う。

68年10月に日本プロレスに入門し、69年2月にデビューした木戸さんはアントニオ猪木、藤波辰爾らと日本プロレスを退団し、72年3月、新日本の旗揚げメンバーとして参加。75年6月に藤波とともに海外修行でドイツに渡って8カ月間、参戦。その後、米国で「プロレスの神様」カール・ゴッチからレスリング技術を学んだ。帰国後はグラウンド(寝技)テクニック、関節技を中心としたファイトを展開し、84年から第1次UWFにも参加。85年に新日本に復帰すると、86年8月には前田日明とIWGPタッグ王座も獲得した。

90年2月には全日本プロレスとの対抗戦で木村健悟と組み、ジャンボ鶴田、谷津嘉章組と対戦。92年からは天龍源一郎率いるWAR勢との対抗戦でも実力を発揮した。01年11月、横浜文化体育館で33年間の現役生活に終止符を打った。その後、コーチとして新日本に残り、現在、米プロレス団体WWEのトップレスラーとして活躍する中邑真輔らを育成した。

現役引退後、ゴルファーを目指した娘・愛の育成も力を注ぎ、ジュニア時代は車の送迎役も買って出た。プロとなった愛のツアーにも帯同し、送迎などを担当しながら18ホールを歩いて応援。自宅でトレーニングを続けていることも明かしていた。

また一時的に現役にも復帰。05年にはビッグマウス・ラウド、08年6月には全日本プロレスで、西村修、松田納(エル・サムライ)とのユニット「オサム軍団」として出場。10年2月にはアントニオ猪木が旗揚げしたIGFにも参戦していた。


まさにいぶし銀レスラーやな
長州力はYouTubeで元気そう

332:

>>1 日刊スポーツ2023年12月14日17時5分
https://www.nikkansports.com/battle/news/202312140000643.html

新日本プロレスで活躍し「いぶし銀」として知られた元プロレスラー木戸修さんが死去したことが14日、分かった。11日の午後10時過ぎ、神奈川・横須賀市内の病院で亡くなった。73歳だった。同日、容体が急変し、自宅から救急搬送されて息を引き取った。

関係者によると、数年前から、がんを患っており、抗がん剤治療などを受け続けていたという。

娘にはツアー1勝のプロゴルファー木戸愛(33)がいる。遺族の意向で、通夜・葬儀は近親者のみで執り行う。

68年10月に日本プロレスに入門し、69年2月にデビューした木戸さんはアントニオ猪木、藤波辰爾らと日本プロレスを退団し、72年3月、新日本の旗揚げメンバーとして参加。75年6月に藤波とともに海外修行でドイツに渡って8カ月間、参戦。その後、米国で「プロレスの神様」カール・ゴッチからレスリング技術を学んだ。帰国後はグラウンド(寝技)テクニック、関節技を中心としたファイトを展開し、84年から第1次UWFにも参加。85年に新日本に復帰すると、86年8月には前田日明とIWGPタッグ王座も獲得した。

90年2月には全日本プロレスとの対抗戦で木村健悟と組み、ジャンボ鶴田、谷津嘉章組と対戦。92年からは天龍源一郎率いるWAR勢との対抗戦でも実力を発揮した。01年11月、横浜文化体育館で33年間の現役生活に終止符を打った。その後、コーチとして新日本に残り、現在、米プロレス団体WWEのトップレスラーとして活躍する中邑真輔らを育成した。

現役引退後、ゴルファーを目指した娘・愛の育成も力を注ぎ、ジュニア時代は車の送迎役も買って出た。プロとなった愛のツアーにも帯同し、送迎などを担当しながら18ホールを歩いて応援。自宅でトレーニングを続けていることも明かしていた。

また一時的に現役にも復帰。05年にはビッグマウス・ラウド、08年6月には全日本プロレスで、西村修、松田納(エル・サムライ)とのユニット「オサム軍団」として出場。10年2月にはアントニオ猪木が旗揚げしたIGFにも参戦していた。


異様に肌ツヤの良いオッサンだったし健康に気を遣っていそうなイメージだったけど癌だったなんてな。
お悔やみを申し上げます。

429:

>>1 日刊スポーツ2023年12月14日17時5分
https://www.nikkansports.com/battle/news/202312140000643.html

新日本プロレスで活躍し「いぶし銀」として知られた元プロレスラー木戸修さんが死去したことが14日、分かった。11日の午後10時過ぎ、神奈川・横須賀市内の病院で亡くなった。73歳だった。同日、容体が急変し、自宅から救急搬送されて息を引き取った。

関係者によると、数年前から、がんを患っており、抗がん剤治療などを受け続けていたという。

娘にはツアー1勝のプロゴルファー木戸愛(33)がいる。遺族の意向で、通夜・葬儀は近親者のみで執り行う。

68年10月に日本プロレスに入門し、69年2月にデビューした木戸さんはアントニオ猪木、藤波辰爾らと日本プロレスを退団し、72年3月、新日本の旗揚げメンバーとして参加。75年6月に藤波とともに海外修行でドイツに渡って8カ月間、参戦。その後、米国で「プロレスの神様」カール・ゴッチからレスリング技術を学んだ。帰国後はグラウンド(寝技)テクニック、関節技を中心としたファイトを展開し、84年から第1次UWFにも参加。85年に新日本に復帰すると、86年8月には前田日明とIWGPタッグ王座も獲得した。

90年2月には全日本プロレスとの対抗戦で木村健悟と組み、ジャンボ鶴田、谷津嘉章組と対戦。92年からは天龍源一郎率いるWAR勢との対抗戦でも実力を発揮した。01年11月、横浜文化体育館で33年間の現役生活に終止符を打った。その後、コーチとして新日本に残り、現在、米プロレス団体WWEのトップレスラーとして活躍する中邑真輔らを育成した。

現役引退後、ゴルファーを目指した娘・愛の育成も力を注ぎ、ジュニア時代は車の送迎役も買って出た。プロとなった愛のツアーにも帯同し、送迎などを担当しながら18ホールを歩いて応援。自宅でトレーニングを続けていることも明かしていた。

また一時的に現役にも復帰。05年にはビッグマウス・ラウド、08年6月には全日本プロレスで、西村修、松田納(エル・サムライ)とのユニット「オサム軍団」として出場。10年2月にはアントニオ猪木が旗揚げしたIGFにも参戦していた。


まじか!!

木戸さん、
誰が何と言おうと、あなたも立派なUWF戦士だよ!!

(`・ω・´)σ꜆꜄꜆ 他のコメント

30:

WARとの対抗戦でもいい味出してた印象。
90年代の新日本も熱かったね。

87:

大量離脱前の80年代前半黄金期の新日ファン。つうかもう少しその前から見てたな。
中堅のイメージしかなくてワープロでも放送一試合目で登場が多かった。
UWFから戻ってきたら全然強くなっててさw。まあ新日創立メンバーだし天国で猪木や小鉄に挨拶行くだろうな。。

101:

兄貴が日本プロレスの事故で不随の寝たきりになったんだよね
兄貴の分までって思いでプロレスラーになり現役を続けてた

182:

1990年2月10日東京ドームでの新日本VS全日本の対抗戦で、木戸が鶴田のラリアットをかわして脇固めを決めた瞬間、超満員の観客がドカーンと沸いた、あの瞬間が忘れられない。
素敵な思い出をありがとう(;ω;)

275:

まだ73歳だったことに少し驚いた。
俺の高校時代(25、6年前)でさえ、リング上がってるの見たときは、ずいぶんなおっさんレスラーに見えたんだが、あの時まだ40代だったのか。
それに比べれば、今の棚橋なんてまだ若手に見える。

292:

>>275 まだ73歳だったことに少し驚いた。
俺の高校時代(25、6年前)でさえ、リング上がってるの見たときは、ずいぶんなおっさんレスラーに見えたんだが、あの時まだ40代だったのか。
それに比べれば、今の棚橋なんてまだ若手に見える。


髪型の問題かと
棚橋も73分けにしたら
木戸修も、長髪染めたら…

309:

>>292 髪型の問題かと
棚橋も73分けにしたら
木戸修も、長髪染めたら…



それ以上いけない

291:

世界3大1年に1度出るか出ないかの技
ライガーになってからのシューティングスター
キドクラッチ

454:

旧Uが新日にUターンしてUメンバーで対猪木の「UWF代表者決定リーグ戦」で
木戸と前田が当たった時に前田がブチ切れてたけどエースの自分にあんまりセールしなかったからだろうな
木戸って普段は温厚で決められたブックに直に殉じるけど相手があんまり調子こいてると
たまにムキになる時があったのも面白い

467:

当時の全日はUWFからラッシャー、剛が来てて
長州らジャパンプロレスの連中も来てて
マシンらカルガリーハリケーンズも参戦したい
て言うてて(契約問題がクリアするまで全日に出られなかった)
UWFの残党全員の面倒をみる余裕はなかったんだな。
剛、高杉、アポロは人員整理で解雇されることになった

470:

夏のG1親日の後楽園ホールの6人タッグ対ブロンドアウトローズ戦
開始数分で木戸の脇固めで試合終了して試合に出てない選手が呆然としてた
連戦で疲れがたまっていたのでみんな休みたかったんだろうな

491:

木戸さんと言えばやはり
鶴田・谷津VS木村・木戸
因みに北尾光司がデビュー戦でドームを爆笑の渦に陥れた日
名人のタッグ戦は、結果は誰もが予想出来たけど、それ以上に歴史に残る名勝負になったなぁ
あれは4人全員が持ち味を出し切って、鶴田に締めてもらう、あの4人だからこそ出来た試合だった
この日はハンセンもベイダーも天龍も三沢も長州もグダグタだったから尚更

500:

>>491 木戸さんと言えばやはり
鶴田・谷津VS木村・木戸
因みに北尾光司がデビュー戦でドームを爆笑の渦に陥れた日
名人のタッグ戦は、結果は誰もが予想出来たけど、それ以上に歴史に残る名勝負になったなぁ
あれは4人全員が持ち味を出し切って、鶴田に締めてもらう、あの4人だからこそ出来た試合だった
この日はハンセンもベイダーも天龍も三沢も長州もグダグタだったから尚更


橋本の「時は来た!」と猪木の「出る前に負けること考える馬鹿いるかよ」と初の1.2.3ダー!も

503:

>>500 橋本の「時は来た!」と猪木の「出る前に負けること考える馬鹿いるかよ」と初の1.2.3ダー!も


>橋本の「時は来た!」

噴き出すのを上手く誤魔化せたつもりの蝶野も

520:

大阪スポーツの1面を飾ったスーパータイガー・前田日明組対
藤原喜明・木戸修組
あのタイガーマスクが負けたとあって当時驚いたもんやわ
それと同時に第1次UWFの格闘プロレスにも衝撃受けた

549:

いぶし銀のプロレスってテレビではもうほとんど見れない感じだな。
今はスピーディで派手な大技で観客を常に最高潮に沸かせるプロレスだから選手の負担も大変そう。
昭和、平成途中までのプロレスの独特の間や
レスラーがリングに上がっただけでも観客を沸かせる、そういう存在感とは違った魅力、見方になってきてるのも時代の流れなんだろうな。

607:

>>549 いぶし銀のプロレスってテレビではもうほとんど見れない感じだな。
今はスピーディで派手な大技で観客を常に最高潮に沸かせるプロレスだから選手の負担も大変そう。
昭和、平成途中までのプロレスの独特の間や
レスラーがリングに上がっただけでも観客を沸かせる、そういう存在感とは違った魅力、見方になってきてるのも時代の流れなんだろうな。


今のプロレス技は一見派手だけど落とし方は優しいよ 飛び技は自爆しないかヒヤヒヤするけど

556:

日本プロレスの選手会で猪木追放の投票を行った時反対したのは小鉄だけで 猪木の付き人だった藤波と
小鉄の付き人だった木戸が翌日合宿所から脱走して猪木の元へ 新日の合宿所開きはこの4人とトルコが
いたかな 猪木の付き人をしていた北沢と柴田はメキシコにいたが冷遇されそうだったので日本に帰ってきて
新日に参加した トルコ派と見られてた松岡巖鉄は日プロに残った

615:

80年代、シックスメンタッグマッチの一方はは猪木、藤浪まで確定で三人目がほぼ木村健吾、まれに木戸修。ってな感じ。
引用元: https://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/mnewsplus/1702542702

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