- 連載「ルポ男児の性被害」第3回
「日本ではそもそも男子の性被害を想定していないと感じます。
- ジャニーズのことも、都市伝説くらいに軽く考えていたのかも」――13歳のジャニーズJr.時代、故ジャニー喜多川氏から性被害を受けた二本樹顕理さん(39)は、長い間、強い自己嫌悪に苛まれ、一時は「もう死ぬしかない」と思いつめたという。
- どん底まで落ちた時は聖書に救いを求め、カウンセリングを受け、トラウマに向き合った。
- ジャニー氏死去の一報に触れた時、「ああ、これで少年たちを食い物にするような人物がこの世からいなくなったんだ」と安堵した。
- これまで本連載では小中時代に教師から性暴力を受けたケースを取り上げたが、絶対的な力関係の下で被害に遭っている子どもが声を上げられないのは本件でも同じである。
- あどけない顔で納まっていた13歳の少年は、39歳になった今、打ち明ける。
- ジャニーさんの性行為を受けたことによって仕事で優遇されるようになったんだと思って、強い自己嫌悪があった。
- それで自分がオーディションに合格したことを知りました」
入所すると、Jr.のレッスンに参加するようになった。
- 「Jr.のいるところに常にジャニーさんがいるという感じで、日常的に接点がありました。
- ジャニーさんは口数が多い方ではないし、怒鳴るようなこともありません。
1: 連載「ルポ男児の性被害」第3回 「日本ではそもそも男子の性被害を想定していないと感じます。ジャニーズのことも、都市伝説くらいに軽く考えていたのかも」――13歳のジャニーズJr.時代、故ジャニー喜多川氏から性被害を受けた二本樹顕理さん(39)は、長い間、強い自己嫌悪に苛まれ、一時は「もう死ぬしかない」と思いつめたという。どん底まで落ちた時は聖書に救いを求め、カウンセリングを受け、トラウマに向き合った。ジャニー氏死去の一報に触れた時、「ああ、これで少年たちを食い物にするような人物がこの世からいなくなったんだ」と安堵した。 これまで本連載では小中時代に教師から性暴力を受けたケースを取り上げたが、絶対的な力関係の下で被害に遭っている子どもが声を上げられないのは本件でも同じである。本件がさらに悪質なのは、犠牲の実態を知っても、周囲の大人たちが権力者に忖度し、見て見ぬふりを続けてきたことだ。性暴力の実情を長年取材するジャーナリストの秋山千佳氏による徹底取材第3弾。(「文藝春秋 電子版」連載第3回より一部を公開) ◆◆◆ 1997年にアイドル雑誌の付録だったポスターがある。当時人気のあったジャニーズJr.の少年たちが上半身裸で身を寄せ合っている。下半身は写っておらず、彼らが一糸まとわず笑顔を振りまいているようにも見える一枚だ。 あどけない顔で納まっていた13歳の少年は、39歳になった今、打ち明ける。 「この頃はずっと嫌悪感がありました。ジャニーさんの性行為を受けたことによって仕事で優遇されるようになったんだと思って、強い自己嫌悪があった。そして、当時は性暴力だとは理解していなかったですけど『なんて汚い世界なんだ』と思っていました」 二本樹顕理は、ジャニーズJr.として活動していた1990年代後半、ジャニーズ事務所創業者で前社長のジャニー喜多川(2019年死去)からの性被害を受けていた。被害は半年から1年ほどの間に、10回程度。それは退所後も、人生に長い影を落とすことになった。 KinKi Kidsのコンサートにいきなり出ることに 1983年に生まれた二本樹は、マイケル・ジャクソンが好きな小学生だった。母親とともに来日公演に行って、「自分も歌って踊れるアーティストになりたい」と夢見た。11歳頃から劇団に所属していたが、中学へ進むと、日本で歌って踊れるアーティストを養成する代表的存在だったジャニーズ事務所へと自ら履歴書を送った。 1996年夏。ジャニーズ事務所から電話があり、オーディションを受けることになった。母親に付き添われて六本木の会場へ行くと、最初に踊りのグループ審査があり、続いて面接を受けた。そのオーディションがジャニーとの出会いだった。見た目は「普通のおじさん」だったが、審査のやりとりを見ているうちに「ひょっとしてこの人がジャニーさんかな」と気づいた。 それから1カ月もたたないうちに、男性の声で電話がかかってきた。日時とともに「ここに来て」と伝えられた。 「KinKi Kidsさんの横浜アリーナでのコンサートでした。そこに私もいきなり出ることになって。KinKiさんがパフォーマンスをしている後ろに、Jr.たちが座るセットリストだったと思います。それで自分がオーディションに合格したことを知りました」 入所すると、Jr.のレッスンに参加するようになった。会場には必ずジャニーがいた。 「Jr.のいるところに常にジャニーさんがいるという感じで、日常的に接点がありました。ジャニーさんはレッスンの様子を見ていたり、Jr.と談話したりする。話の内容は他愛もない日常会話が中心でした。ジャニーさんは口数が多い方ではないし、怒鳴るようなこともありません。ただ、個人的には話しやすいとは言えなかったです。現場にいるすべての人が口答えせず、常に顔色を窺っているような緊迫した空気があったからです」 二本樹からしたら怖い振付師の男性も、ジャニーの前に出るとおとなしくなった。事務所社長の権威を目の当たりにするようだった。 もうひとつ当初から感じていたのが、ジャニーが自分の近くによく来ることだった。 続きはソースをご覧ください https://bunshun.jp/articles/-/62824
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41: >>1 連載「ルポ男児の性被害」第3回 「日本ではそもそも男子の性被害を想定していないと感じます。ジャニーズのことも、都市伝説くらいに軽く考えていたのかも」――13歳のジャニーズJr.時代、故ジャニー喜多川氏から性被害を受けた二本樹顕理さん(39)は、長い間、強い自己嫌悪に苛まれ、一時は「もう死ぬしかない」と思いつめたという。どん底まで落ちた時は聖書に救いを求め、カウンセリングを受け、トラウマに向き合った。ジャニー氏死去の一報に触れた時、「ああ、これで少年たちを食い物にするような人物がこの世からいなくなったんだ」と安堵した。 これまで本連載では小中時代に教師から性暴力を受けたケースを取り上げたが、絶対的な力関係の下で被害に遭っている子どもが声を上げられないのは本件でも同じである。本件がさらに悪質なのは、犠牲の実態を知っても、周囲の大人たちが権力者に忖度し、見て見ぬふりを続けてきたことだ。性暴力の実情を長年取材するジャーナリストの秋山千佳氏による徹底取材第3弾。(「文藝春秋 電子版」連載第3回より一部を公開) ◆◆◆ 1997年にアイドル雑誌の付録だったポスターがある。当時人気のあったジャニーズJr.の少年たちが上半身裸で身を寄せ合っている。下半身は写っておらず、彼らが一糸まとわず笑顔を振りまいているようにも見える一枚だ。 あどけない顔で納まっていた13歳の少年は、39歳になった今、打ち明ける。 「この頃はずっと嫌悪感がありました。ジャニーさんの性行為を受けたことによって仕事で優遇されるようになったんだと思って、強い自己嫌悪があった。そして、当時は性暴力だとは理解していなかったですけど『なんて汚い世界なんだ』と思っていました」 二本樹顕理は、ジャニーズJr.として活動していた1990年代後半、ジャニーズ事務所創業者で前社長のジャニー喜多川(2019年死去)からの性被害を受けていた。被害は半年から1年ほどの間に、10回程度。それは退所後も、人生に長い影を落とすことになった。 KinKi Kidsのコンサートにいきなり出ることに 1983年に生まれた二本樹は、マイケル・ジャクソンが好きな小学生だった。母親とともに来日公演に行って、「自分も歌って踊れるアーティストになりたい」と夢見た。11歳頃から劇団に所属していたが、中学へ進むと、日本で歌って踊れるアーティストを養成する代表的存在だったジャニーズ事務所へと自ら履歴書を送った。 1996年夏。ジャニーズ事務所から電話があり、オーディションを受けることになった。母親に付き添われて六本木の会場へ行くと、最初に踊りのグループ審査があり、続いて面接を受けた。そのオーディションがジャニーとの出会いだった。見た目は「普通のおじさん」だったが、審査のやりとりを見ているうちに「ひょっとしてこの人がジャニーさんかな」と気づいた。 それから1カ月もたたないうちに、男性の声で電話がかかってきた。日時とともに「ここに来て」と伝えられた。 「KinKi Kidsさんの横浜アリーナでのコンサートでした。そこに私もいきなり出ることになって。KinKiさんがパフォーマンスをしている後ろに、Jr.たちが座るセットリストだったと思います。それで自分がオーディションに合格したことを知りました」 入所すると、Jr.のレッスンに参加するようになった。会場には必ずジャニーがいた。 「Jr.のいるところに常にジャニーさんがいるという感じで、日常的に接点がありました。ジャニーさんはレッスンの様子を見ていたり、Jr.と談話したりする。話の内容は他愛もない日常会話が中心でした。ジャニーさんは口数が多い方ではないし、怒鳴るようなこともありません。ただ、個人的には話しやすいとは言えなかったです。現場にいるすべての人が口答えせず、常に顔色を窺っているような緊迫した空気があったからです」 二本樹からしたら怖い振付師の男性も、ジャニーの前に出るとおとなしくなった。事務所社長の権威を目の当たりにするようだった。 もうひとつ当初から感じていたのが、ジャニーが自分の近くによく来ることだった。 続きはソースをご覧ください https://bunshun.jp/articles/-/62824
こうも尻馬に乗っかってくるのが沸いてくると素直に応援できないな w この二本樹顕理にはなんで今?喜多川が生きている内ではだめだったのか?何故お前が率先して告発しなかった?くらい言ってやっても良いくらい
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44: >>1 連載「ルポ男児の性被害」第3回 「日本ではそもそも男子の性被害を想定していないと感じます。ジャニーズのことも、都市伝説くらいに軽く考えていたのかも」――13歳のジャニーズJr.時代、故ジャニー喜多川氏から性被害を受けた二本樹顕理さん(39)は、長い間、強い自己嫌悪に苛まれ、一時は「もう死ぬしかない」と思いつめたという。どん底まで落ちた時は聖書に救いを求め、カウンセリングを受け、トラウマに向き合った。ジャニー氏死去の一報に触れた時、「ああ、これで少年たちを食い物にするような人物がこの世からいなくなったんだ」と安堵した。 これまで本連載では小中時代に教師から性暴力を受けたケースを取り上げたが、絶対的な力関係の下で被害に遭っている子どもが声を上げられないのは本件でも同じである。本件がさらに悪質なのは、犠牲の実態を知っても、周囲の大人たちが権力者に忖度し、見て見ぬふりを続けてきたことだ。性暴力の実情を長年取材するジャーナリストの秋山千佳氏による徹底取材第3弾。(「文藝春秋 電子版」連載第3回より一部を公開) ◆◆◆ 1997年にアイドル雑誌の付録だったポスターがある。当時人気のあったジャニーズJr.の少年たちが上半身裸で身を寄せ合っている。下半身は写っておらず、彼らが一糸まとわず笑顔を振りまいているようにも見える一枚だ。 あどけない顔で納まっていた13歳の少年は、39歳になった今、打ち明ける。 「この頃はずっと嫌悪感がありました。ジャニーさんの性行為を受けたことによって仕事で優遇されるようになったんだと思って、強い自己嫌悪があった。そして、当時は性暴力だとは理解していなかったですけど『なんて汚い世界なんだ』と思っていました」 二本樹顕理は、ジャニーズJr.として活動していた1990年代後半、ジャニーズ事務所創業者で前社長のジャニー喜多川(2019年死去)からの性被害を受けていた。被害は半年から1年ほどの間に、10回程度。それは退所後も、人生に長い影を落とすことになった。 KinKi Kidsのコンサートにいきなり出ることに 1983年に生まれた二本樹は、マイケル・ジャクソンが好きな小学生だった。母親とともに来日公演に行って、「自分も歌って踊れるアーティストになりたい」と夢見た。11歳頃から劇団に所属していたが、中学へ進むと、日本で歌って踊れるアーティストを養成する代表的存在だったジャニーズ事務所へと自ら履歴書を送った。 1996年夏。ジャニーズ事務所から電話があり、オーディションを受けることになった。母親に付き添われて六本木の会場へ行くと、最初に踊りのグループ審査があり、続いて面接を受けた。そのオーディションがジャニーとの出会いだった。見た目は「普通のおじさん」だったが、審査のやりとりを見ているうちに「ひょっとしてこの人がジャニーさんかな」と気づいた。 それから1カ月もたたないうちに、男性の声で電話がかかってきた。日時とともに「ここに来て」と伝えられた。 「KinKi Kidsさんの横浜アリーナでのコンサートでした。そこに私もいきなり出ることになって。KinKiさんがパフォーマンスをしている後ろに、Jr.たちが座るセットリストだったと思います。それで自分がオーディションに合格したことを知りました」 入所すると、Jr.のレッスンに参加するようになった。会場には必ずジャニーがいた。 「Jr.のいるところに常にジャニーさんがいるという感じで、日常的に接点がありました。ジャニーさんはレッスンの様子を見ていたり、Jr.と談話したりする。話の内容は他愛もない日常会話が中心でした。ジャニーさんは口数が多い方ではないし、怒鳴るようなこともありません。ただ、個人的には話しやすいとは言えなかったです。現場にいるすべての人が口答えせず、常に顔色を窺っているような緊迫した空気があったからです」 二本樹からしたら怖い振付師の男性も、ジャニーの前に出るとおとなしくなった。事務所社長の権威を目の当たりにするようだった。 もうひとつ当初から感じていたのが、ジャニーが自分の近くによく来ることだった。 続きはソースをご覧ください https://bunshun.jp/articles/-/62824
今日も元気にジャニタレがNHKに出てました
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112: >>1 連載「ルポ男児の性被害」第3回 「日本ではそもそも男子の性被害を想定していないと感じます。ジャニーズのことも、都市伝説くらいに軽く考えていたのかも」――13歳のジャニーズJr.時代、故ジャニー喜多川氏から性被害を受けた二本樹顕理さん(39)は、長い間、強い自己嫌悪に苛まれ、一時は「もう死ぬしかない」と思いつめたという。どん底まで落ちた時は聖書に救いを求め、カウンセリングを受け、トラウマに向き合った。ジャニー氏死去の一報に触れた時、「ああ、これで少年たちを食い物にするような人物がこの世からいなくなったんだ」と安堵した。 これまで本連載では小中時代に教師から性暴力を受けたケースを取り上げたが、絶対的な力関係の下で被害に遭っている子どもが声を上げられないのは本件でも同じである。本件がさらに悪質なのは、犠牲の実態を知っても、周囲の大人たちが権力者に忖度し、見て見ぬふりを続けてきたことだ。性暴力の実情を長年取材するジャーナリストの秋山千佳氏による徹底取材第3弾。(「文藝春秋 電子版」連載第3回より一部を公開) ◆◆◆ 1997年にアイドル雑誌の付録だったポスターがある。当時人気のあったジャニーズJr.の少年たちが上半身裸で身を寄せ合っている。下半身は写っておらず、彼らが一糸まとわず笑顔を振りまいているようにも見える一枚だ。 あどけない顔で納まっていた13歳の少年は、39歳になった今、打ち明ける。 「この頃はずっと嫌悪感がありました。ジャニーさんの性行為を受けたことによって仕事で優遇されるようになったんだと思って、強い自己嫌悪があった。そして、当時は性暴力だとは理解していなかったですけど『なんて汚い世界なんだ』と思っていました」 二本樹顕理は、ジャニーズJr.として活動していた1990年代後半、ジャニーズ事務所創業者で前社長のジャニー喜多川(2019年死去)からの性被害を受けていた。被害は半年から1年ほどの間に、10回程度。それは退所後も、人生に長い影を落とすことになった。 KinKi Kidsのコンサートにいきなり出ることに 1983年に生まれた二本樹は、マイケル・ジャクソンが好きな小学生だった。母親とともに来日公演に行って、「自分も歌って踊れるアーティストになりたい」と夢見た。11歳頃から劇団に所属していたが、中学へ進むと、日本で歌って踊れるアーティストを養成する代表的存在だったジャニーズ事務所へと自ら履歴書を送った。 1996年夏。ジャニーズ事務所から電話があり、オーディションを受けることになった。母親に付き添われて六本木の会場へ行くと、最初に踊りのグループ審査があり、続いて面接を受けた。そのオーディションがジャニーとの出会いだった。見た目は「普通のおじさん」だったが、審査のやりとりを見ているうちに「ひょっとしてこの人がジャニーさんかな」と気づいた。 それから1カ月もたたないうちに、男性の声で電話がかかってきた。日時とともに「ここに来て」と伝えられた。 「KinKi Kidsさんの横浜アリーナでのコンサートでした。そこに私もいきなり出ることになって。KinKiさんがパフォーマンスをしている後ろに、Jr.たちが座るセットリストだったと思います。それで自分がオーディションに合格したことを知りました」 入所すると、Jr.のレッスンに参加するようになった。会場には必ずジャニーがいた。 「Jr.のいるところに常にジャニーさんがいるという感じで、日常的に接点がありました。ジャニーさんはレッスンの様子を見ていたり、Jr.と談話したりする。話の内容は他愛もない日常会話が中心でした。ジャニーさんは口数が多い方ではないし、怒鳴るようなこともありません。ただ、個人的には話しやすいとは言えなかったです。現場にいるすべての人が口答えせず、常に顔色を窺っているような緊迫した空気があったからです」 二本樹からしたら怖い振付師の男性も、ジャニーの前に出るとおとなしくなった。事務所社長の権威を目の当たりにするようだった。 もうひとつ当初から感じていたのが、ジャニーが自分の近くによく来ることだった。 続きはソースをご覧ください https://bunshun.jp/articles/-/62824
この二本樹って人めちゃくちゃ懐かしい 1997年の一時期生田山下と同じくらいのポジションにいたと思う 色黒で東南アジア系だったけど別人みたいになったな
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840: >>1 連載「ルポ男児の性被害」第3回 「日本ではそもそも男子の性被害を想定していないと感じます。ジャニーズのことも、都市伝説くらいに軽く考えていたのかも」――13歳のジャニーズJr.時代、故ジャニー喜多川氏から性被害を受けた二本樹顕理さん(39)は、長い間、強い自己嫌悪に苛まれ、一時は「もう死ぬしかない」と思いつめたという。どん底まで落ちた時は聖書に救いを求め、カウンセリングを受け、トラウマに向き合った。ジャニー氏死去の一報に触れた時、「ああ、これで少年たちを食い物にするような人物がこの世からいなくなったんだ」と安堵した。 これまで本連載では小中時代に教師から性暴力を受けたケースを取り上げたが、絶対的な力関係の下で被害に遭っている子どもが声を上げられないのは本件でも同じである。本件がさらに悪質なのは、犠牲の実態を知っても、周囲の大人たちが権力者に忖度し、見て見ぬふりを続けてきたことだ。性暴力の実情を長年取材するジャーナリストの秋山千佳氏による徹底取材第3弾。(「文藝春秋 電子版」連載第3回より一部を公開) ◆◆◆ 1997年にアイドル雑誌の付録だったポスターがある。当時人気のあったジャニーズJr.の少年たちが上半身裸で身を寄せ合っている。下半身は写っておらず、彼らが一糸まとわず笑顔を振りまいているようにも見える一枚だ。 あどけない顔で納まっていた13歳の少年は、39歳になった今、打ち明ける。 「この頃はずっと嫌悪感がありました。ジャニーさんの性行為を受けたことによって仕事で優遇されるようになったんだと思って、強い自己嫌悪があった。そして、当時は性暴力だとは理解していなかったですけど『なんて汚い世界なんだ』と思っていました」 二本樹顕理は、ジャニーズJr.として活動していた1990年代後半、ジャニーズ事務所創業者で前社長のジャニー喜多川(2019年死去)からの性被害を受けていた。被害は半年から1年ほどの間に、10回程度。それは退所後も、人生に長い影を落とすことになった。 KinKi Kidsのコンサートにいきなり出ることに 1983年に生まれた二本樹は、マイケル・ジャクソンが好きな小学生だった。母親とともに来日公演に行って、「自分も歌って踊れるアーティストになりたい」と夢見た。11歳頃から劇団に所属していたが、中学へ進むと、日本で歌って踊れるアーティストを養成する代表的存在だったジャニーズ事務所へと自ら履歴書を送った。 1996年夏。ジャニーズ事務所から電話があり、オーディションを受けることになった。母親に付き添われて六本木の会場へ行くと、最初に踊りのグループ審査があり、続いて面接を受けた。そのオーディションがジャニーとの出会いだった。見た目は「普通のおじさん」だったが、審査のやりとりを見ているうちに「ひょっとしてこの人がジャニーさんかな」と気づいた。 それから1カ月もたたないうちに、男性の声で電話がかかってきた。日時とともに「ここに来て」と伝えられた。 「KinKi Kidsさんの横浜アリーナでのコンサートでした。そこに私もいきなり出ることになって。KinKiさんがパフォーマンスをしている後ろに、Jr.たちが座るセットリストだったと思います。それで自分がオーディションに合格したことを知りました」 入所すると、Jr.のレッスンに参加するようになった。会場には必ずジャニーがいた。 「Jr.のいるところに常にジャニーさんがいるという感じで、日常的に接点がありました。ジャニーさんはレッスンの様子を見ていたり、Jr.と談話したりする。話の内容は他愛もない日常会話が中心でした。ジャニーさんは口数が多い方ではないし、怒鳴るようなこともありません。ただ、個人的には話しやすいとは言えなかったです。現場にいるすべての人が口答えせず、常に顔色を窺っているような緊迫した空気があったからです」 二本樹からしたら怖い振付師の男性も、ジャニーの前に出るとおとなしくなった。事務所社長の権威を目の当たりにするようだった。 もうひとつ当初から感じていたのが、ジャニーが自分の近くによく来ることだった。 続きはソースをご覧ください https://bunshun.jp/articles/-/62824
深夜、ジャニーがベッドに入ってくる感触で目が覚めた。まったくの無言でマッサージとも愛撫ともつかないボディータッチが数十分続き、口にディープキスをされた。初めての性体験だった。そして陰部を弄られた後、オーラルセックスをされた。 すげーなジャニさん! まさに自分の王国を作り上げたんだな!!
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848: >>840 深夜、ジャニーがベッドに入ってくる感触で目が覚めた。まったくの無言でマッサージとも愛撫ともつかないボディータッチが数十分続き、口にディープキスをされた。初めての性体験だった。そして陰部を弄られた後、オーラルセックスをされた。 すげーなジャニさん! まさに自分の王国を作り上げたんだな!!
初めてのキスは歯槽膿漏の臭いって一生もののトラウマだな…
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901: >>1 連載「ルポ男児の性被害」第3回 「日本ではそもそも男子の性被害を想定していないと感じます。ジャニーズのことも、都市伝説くらいに軽く考えていたのかも」――13歳のジャニーズJr.時代、故ジャニー喜多川氏から性被害を受けた二本樹顕理さん(39)は、長い間、強い自己嫌悪に苛まれ、一時は「もう死ぬしかない」と思いつめたという。どん底まで落ちた時は聖書に救いを求め、カウンセリングを受け、トラウマに向き合った。ジャニー氏死去の一報に触れた時、「ああ、これで少年たちを食い物にするような人物がこの世からいなくなったんだ」と安堵した。 これまで本連載では小中時代に教師から性暴力を受けたケースを取り上げたが、絶対的な力関係の下で被害に遭っている子どもが声を上げられないのは本件でも同じである。本件がさらに悪質なのは、犠牲の実態を知っても、周囲の大人たちが権力者に忖度し、見て見ぬふりを続けてきたことだ。性暴力の実情を長年取材するジャーナリストの秋山千佳氏による徹底取材第3弾。(「文藝春秋 電子版」連載第3回より一部を公開) ◆◆◆ 1997年にアイドル雑誌の付録だったポスターがある。当時人気のあったジャニーズJr.の少年たちが上半身裸で身を寄せ合っている。下半身は写っておらず、彼らが一糸まとわず笑顔を振りまいているようにも見える一枚だ。 あどけない顔で納まっていた13歳の少年は、39歳になった今、打ち明ける。 「この頃はずっと嫌悪感がありました。ジャニーさんの性行為を受けたことによって仕事で優遇されるようになったんだと思って、強い自己嫌悪があった。そして、当時は性暴力だとは理解していなかったですけど『なんて汚い世界なんだ』と思っていました」 二本樹顕理は、ジャニーズJr.として活動していた1990年代後半、ジャニーズ事務所創業者で前社長のジャニー喜多川(2019年死去)からの性被害を受けていた。被害は半年から1年ほどの間に、10回程度。それは退所後も、人生に長い影を落とすことになった。 KinKi Kidsのコンサートにいきなり出ることに 1983年に生まれた二本樹は、マイケル・ジャクソンが好きな小学生だった。母親とともに来日公演に行って、「自分も歌って踊れるアーティストになりたい」と夢見た。11歳頃から劇団に所属していたが、中学へ進むと、日本で歌って踊れるアーティストを養成する代表的存在だったジャニーズ事務所へと自ら履歴書を送った。 1996年夏。ジャニーズ事務所から電話があり、オーディションを受けることになった。母親に付き添われて六本木の会場へ行くと、最初に踊りのグループ審査があり、続いて面接を受けた。そのオーディションがジャニーとの出会いだった。見た目は「普通のおじさん」だったが、審査のやりとりを見ているうちに「ひょっとしてこの人がジャニーさんかな」と気づいた。 それから1カ月もたたないうちに、男性の声で電話がかかってきた。日時とともに「ここに来て」と伝えられた。 「KinKi Kidsさんの横浜アリーナでのコンサートでした。そこに私もいきなり出ることになって。KinKiさんがパフォーマンスをしている後ろに、Jr.たちが座るセットリストだったと思います。それで自分がオーディションに合格したことを知りました」 入所すると、Jr.のレッスンに参加するようになった。会場には必ずジャニーがいた。 「Jr.のいるところに常にジャニーさんがいるという感じで、日常的に接点がありました。ジャニーさんはレッスンの様子を見ていたり、Jr.と談話したりする。話の内容は他愛もない日常会話が中心でした。ジャニーさんは口数が多い方ではないし、怒鳴るようなこともありません。ただ、個人的には話しやすいとは言えなかったです。現場にいるすべての人が口答えせず、常に顔色を窺っているような緊迫した空気があったからです」 二本樹からしたら怖い振付師の男性も、ジャニーの前に出るとおとなしくなった。事務所社長の権威を目の当たりにするようだった。 もうひとつ当初から感じていたのが、ジャニーが自分の近くによく来ることだった。 続きはソースをご覧ください https://bunshun.jp/articles/-/62824
の続き読んだけど 活躍してるジュニア同士で性行為の話はよくしてたって語ってるな どんなことされたとか まるでTVで顔を覚えられるようなジャニーズがみんな洗礼受けてるみたいな印象を受けてしまう
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978: >>1 連載「ルポ男児の性被害」第3回 「日本ではそもそも男子の性被害を想定していないと感じます。ジャニーズのことも、都市伝説くらいに軽く考えていたのかも」――13歳のジャニーズJr.時代、故ジャニー喜多川氏から性被害を受けた二本樹顕理さん(39)は、長い間、強い自己嫌悪に苛まれ、一時は「もう死ぬしかない」と思いつめたという。どん底まで落ちた時は聖書に救いを求め、カウンセリングを受け、トラウマに向き合った。ジャニー氏死去の一報に触れた時、「ああ、これで少年たちを食い物にするような人物がこの世からいなくなったんだ」と安堵した。 これまで本連載では小中時代に教師から性暴力を受けたケースを取り上げたが、絶対的な力関係の下で被害に遭っている子どもが声を上げられないのは本件でも同じである。本件がさらに悪質なのは、犠牲の実態を知っても、周囲の大人たちが権力者に忖度し、見て見ぬふりを続けてきたことだ。性暴力の実情を長年取材するジャーナリストの秋山千佳氏による徹底取材第3弾。(「文藝春秋 電子版」連載第3回より一部を公開) ◆◆◆ 1997年にアイドル雑誌の付録だったポスターがある。当時人気のあったジャニーズJr.の少年たちが上半身裸で身を寄せ合っている。下半身は写っておらず、彼らが一糸まとわず笑顔を振りまいているようにも見える一枚だ。 あどけない顔で納まっていた13歳の少年は、39歳になった今、打ち明ける。 「この頃はずっと嫌悪感がありました。ジャニーさんの性行為を受けたことによって仕事で優遇されるようになったんだと思って、強い自己嫌悪があった。そして、当時は性暴力だとは理解していなかったですけど『なんて汚い世界なんだ』と思っていました」 二本樹顕理は、ジャニーズJr.として活動していた1990年代後半、ジャニーズ事務所創業者で前社長のジャニー喜多川(2019年死去)からの性被害を受けていた。被害は半年から1年ほどの間に、10回程度。それは退所後も、人生に長い影を落とすことになった。 KinKi Kidsのコンサートにいきなり出ることに 1983年に生まれた二本樹は、マイケル・ジャクソンが好きな小学生だった。母親とともに来日公演に行って、「自分も歌って踊れるアーティストになりたい」と夢見た。11歳頃から劇団に所属していたが、中学へ進むと、日本で歌って踊れるアーティストを養成する代表的存在だったジャニーズ事務所へと自ら履歴書を送った。 1996年夏。ジャニーズ事務所から電話があり、オーディションを受けることになった。母親に付き添われて六本木の会場へ行くと、最初に踊りのグループ審査があり、続いて面接を受けた。そのオーディションがジャニーとの出会いだった。見た目は「普通のおじさん」だったが、審査のやりとりを見ているうちに「ひょっとしてこの人がジャニーさんかな」と気づいた。 それから1カ月もたたないうちに、男性の声で電話がかかってきた。日時とともに「ここに来て」と伝えられた。 「KinKi Kidsさんの横浜アリーナでのコンサートでした。そこに私もいきなり出ることになって。KinKiさんがパフォーマンスをしている後ろに、Jr.たちが座るセットリストだったと思います。それで自分がオーディションに合格したことを知りました」 入所すると、Jr.のレッスンに参加するようになった。会場には必ずジャニーがいた。 「Jr.のいるところに常にジャニーさんがいるという感じで、日常的に接点がありました。ジャニーさんはレッスンの様子を見ていたり、Jr.と談話したりする。話の内容は他愛もない日常会話が中心でした。ジャニーさんは口数が多い方ではないし、怒鳴るようなこともありません。ただ、個人的には話しやすいとは言えなかったです。現場にいるすべての人が口答えせず、常に顔色を窺っているような緊迫した空気があったからです」 二本樹からしたら怖い振付師の男性も、ジャニーの前に出るとおとなしくなった。事務所社長の権威を目の当たりにするようだった。 もうひとつ当初から感じていたのが、ジャニーが自分の近くによく来ることだった。 続きはソースをご覧ください https://bunshun.jp/articles/-/62824
感触? 気配じゃなくて?
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(`・ω・´)σ꜆꜄꜆ 他のコメント
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6: ジャニー氏がベッドにもぐりこんだ時に 「何すんだこの変態じじい」と言って ボコボコにした人たちは アイドルへの道を断たれましたとさ!
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29: >>6 ジャニー氏がベッドにもぐりこんだ時に 「何すんだこの変態じじい」と言って ボコボコにした人たちは アイドルへの道を断たれましたとさ!
こういうの見ていつも思うんだが 結局性被害を受け入れることで出世する奴らが まともな考えの人を芸能界から締め出すことに加担してるんだよな
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33: >>29 こういうの見ていつも思うんだが 結局性被害を受け入れることで出世する奴らが まともな考えの人を芸能界から締め出すことに加担してるんだよな
そうよ だから売れた奴らは沈黙してんだよ
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822: >>6 ジャニー氏がベッドにもぐりこんだ時に 「何すんだこの変態じじい」と言って ボコボコにした人たちは アイドルへの道を断たれましたとさ!
じいさんドエムの癖もあったら少年には難攻不落だろwww
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72: 芸能界で喜多川弄れるのはたけしだけ
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212: >>72 芸能界で喜多川弄れるのはたけしだけ
昔ダウンタウンが少しだけいじってたなでもこんな扮装まではしてないチキンだからな
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123: 「ユー、今夜泊まっていきなよ」 その言葉が“合宿所”と呼ばれる部屋に誘う決まり文句だということは、先輩たちから聞いていた。 合宿所へ行くのを避けていた先輩からは、「行ったらジャニーさんに食われるぞ」とも忠告された。 しかし二本樹の目には、合宿所へ行かないJr.と行くJr.では、明らかに露出機会に差があると映っていた。 忠告してくれた先輩はなかなか活躍できていなかった。 https://bunshun.jp/articles/-/62824?page=2
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188: 「櫻井さんがNEWS zeroに出演し始めたのは2006年の10月からです。カウアンさんがジャニーズ事務所に入所したのは2012年ですから、その当時には既に櫻井さんはニュースキャスターとして活動していたことになりますね。カウアンさんは『性被害について報道されていればジャニーズに入らなかった』と話しているわけですから櫻井キャスターの責任も問われるところです」
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203: >>188 「櫻井さんがNEWS zeroに出演し始めたのは2006年の10月からです。カウアンさんがジャニーズ事務所に入所したのは2012年ですから、その当時には既に櫻井さんはニュースキャスターとして活動していたことになりますね。カウアンさんは『性被害について報道されていればジャニーズに入らなかった』と話しているわけですから櫻井キャスターの責任も問われるところです」
サクラップは週に1回イメージに合った内容をこなしてるだけ それこそ月曜の放送中にジャニーズに抗議しての大事件でもあれば速報として触れないわけにはいかないが
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328: またか…… まあなにが目的かわからんけどよーく考えて暴露したほうがええで 本人は死んじまってるし自分自身の人生はまだまだ続く ネットでおもちゃにされて後ろ指さされて生きていくのけ? 社会正義語ってるネットのおっさん連中もエンタメとしか見てないからな 味方やないで 内々に事務所と話し合って貰えるもん貰って和解したほうがええと思うがね 生け贄はもう十分出てるんやから新たな醜態さらす必要ないで ほんとネットのおもちゃやこれじゃあ
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336: 今回のインタビューは結構、知らなかった事もあって興味深い内容だったな 喜多川が一方的にヤルだけかと思ったらスペオキクラスだとヤラれることもあるとか あとは親はジャニーズに入りマスメディアに取り上げられるようになってからは舞い上がってしまってたとか この人の親みたいにジャニーズタレントになれるかも知れないんだから我慢しなさいは他の親でもいたんだろうな、って思わせたな
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352: もう二度とストレート恋愛ドラマに出れなくなったジャニタレ トップとったことある奴が全てをつまびらかにして社会問題として捉え、自分の承認欲求との狭間で今まで言えなかった、後輩を守れなかったことを真摯に受けとめ反省し、いかなる目的があっても性犯罪は許されない&今後業界が変わって行くように強く願うと声明を出さないと終わらんぞ 当然のことだがTV局や他事務所も巻き込む形でないとダメ
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384: 消される前に貼っときますね 日本のテレビで稼いでる癖に完全に他人事 デーブ・スペクター @dave spector 渦中のジャニー喜多川についてのBBCドキュメンタリーを拝見しました。短期間だけしか滞在していないリポーターの、くどい欧米型の「正義感」や被害者主義と、実際の当事者らの温度差に驚く。観れば誰もが思うが、そんなにお怒りだったら、ジャニー氏が生きてるうちに、ユー、やれよ、と言いたくなる。 18:11.2023/03/18
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480: > 「ジャニーさんから特に気に入られている子だと、する側にもならないといけなかったと本人たちの口から聞きました。今思えばえぐい話もありました」 うわー、新事実、、 無類の奉仕精神って訳じゃなくて、結局自分も気持ちよくなりたいだけってただの強欲色魔やんけww
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482: >>480 > 「ジャニーさんから特に気に入られている子だと、する側にもならないといけなかったと本人たちの口から聞きました。今思えばえぐい話もありました」 うわー、新事実、、 無類の奉仕精神って訳じゃなくて、結局自分も気持ちよくなりたいだけってただの強欲色魔やんけww
こういう話を聞くとヤラれない子もいるという特別枠の話も疑いたくなるな
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490: しかしすげーよな 俺がアイドル事務所の社長だとして、 AKBも乃木坂もモーニング娘も全て潰して 日本中の可愛い子を集められる独占的な環境になって それで集めた可愛い子を好き放題にやって何十年も警察に捕まらず、メディアは平伏して一生を終えたってことだろ
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508: >>490 しかしすげーよな 俺がアイドル事務所の社長だとして、 AKBも乃木坂もモーニング娘も全て潰して 日本中の可愛い子を集められる独占的な環境になって それで集めた可愛い子を好き放題にやって何十年も警察に捕まらず、メディアは平伏して一生を終えたってことだろ
逃げ切り勝ちだもんな すごいよ
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516: >>490 しかしすげーよな 俺がアイドル事務所の社長だとして、 AKBも乃木坂もモーニング娘も全て潰して 日本中の可愛い子を集められる独占的な環境になって それで集めた可愛い子を好き放題にやって何十年も警察に捕まらず、メディアは平伏して一生を終えたってことだろ
女のアイドルプロデューサーも死んだら色々出てくるかもね
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570: ジャニーが死んでもうすぐ4年になるけど 今高校生くらいのジュニアで小学校高学年や中1くらいからジャニーズやってる子は学校で周りからジャニーの性被害を受けた子として白い目で見られかねないのでは そういう経験してなくても誹謗中傷されたりいじめられたりもするかもしれない 自分の個人の話をするのは勝手だけどカウアンみたいに「たぶんみんなやられてる」みたいに言うのはダメだよな
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672: こんなに事務所内で公然の事実だったのに、多くの有名ジャニーズタレント達が長年嬉々としてジャニーさんジャニーさんゆーてジャニー喜多川の面白エピソードをテレビでよく喋ってたよなぁ 今や事務所全体が非常識の塊と見られてしまって大ダメージだな メディアも同様に みんな同罪 みんなうやむやにしたいんだろうな 気持ち悪いしあんまりお茶の間で聞きたくない話だがどうしても避けては通れない 気持ち悪いだけに大ダメージだね
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685: >>672 こんなに事務所内で公然の事実だったのに、多くの有名ジャニーズタレント達が長年嬉々としてジャニーさんジャニーさんゆーてジャニー喜多川の面白エピソードをテレビでよく喋ってたよなぁ 今や事務所全体が非常識の塊と見られてしまって大ダメージだな メディアも同様に みんな同罪 みんなうやむやにしたいんだろうな 気持ち悪いしあんまりお茶の間で聞きたくない話だがどうしても避けては通れない 気持ち悪いだけに大ダメージだね
本当にね。ジャニーさんのこと慕ってた奴らはこういう行為知らなかったのかテレビ局は取材しろよ
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709: >>685 本当にね。ジャニーさんのこと慕ってた奴らはこういう行為知らなかったのかテレビ局は取材しろよ
でもジャニーのYOUネタって必ず笑える鉄板ネタになってたからな オチの付け方はそこら辺の中途半端な芸人より上手かった
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836: プチエンジェルの件やどこぞのステーキハウスがいきなりシャッターを閉めて女性に 乱暴したという件 こういうのと繋がりがあるのかも知れないね メディアが焦って 話題にするのを辞めている ジャニ喜多と似ているではないか
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841: >>836 プチエンジェルの件やどこぞのステーキハウスがいきなりシャッターを閉めて女性に 乱暴したという件 こういうのと繋がりがあるのかも知れないね メディアが焦って 話題にするのを辞めている ジャニ喜多と似ているではないか
マスコミは今でもずぶずぶだが 政界にはもう深い関係の奴らはいないんだろうな だからマスコミの報道しない自由だけでなんとか抑えようとしてるが
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847: >>836 プチエンジェルの件やどこぞのステーキハウスがいきなりシャッターを閉めて女性に 乱暴したという件 こういうのと繋がりがあるのかも知れないね メディアが焦って 話題にするのを辞めている ジャニ喜多と似ているではないか
ペッパーランチがどうかまでは知らんけど 人身売買と薬物売買と暗殺というのはCI○の裏稼業だからね
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865: SMAPもV6も嵐も出世の為に性被害黙ってたのかな? キンキキッズは最早何も言うまい それって可哀想と同時にとても残念かも そういうの許せない人からしたら共犯扱いされても仕方ないのでは
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868: >>865 SMAPもV6も嵐も出世の為に性被害黙ってたのかな? キンキキッズは最早何も言うまい それって可哀想と同時にとても残念かも そういうの許せない人からしたら共犯扱いされても仕方ないのでは
前例としてジャニーの性行為を受け入れる事で大スターになった先輩が目の前にいるっていうのは影響が大きいだろうと想像がつく。 同期や後輩が行為を受け入れた事で良いポジションで踊るようになったり時期グループに選抜されたりすると自分もやらないと居場所が無くなるという焦りも出てくるだろう。 ジャニーズは恐ろしいシステムを作り上げたもんやで。
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869: >>865 SMAPもV6も嵐も出世の為に性被害黙ってたのかな? キンキキッズは最早何も言うまい それって可哀想と同時にとても残念かも そういうの許せない人からしたら共犯扱いされても仕方ないのでは
被害者なんだからそこは無理言うてやるな
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870: >>869 被害者なんだからそこは無理言うてやるな
次々と入所してくる児童がこの先どうなるか知ってて放置してた訳だから一概に被害者と括るのには抵抗があるな。
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881: >>870 次々と入所してくる児童がこの先どうなるか知ってて放置してた訳だから一概に被害者と括るのには抵抗があるな。
あのさ性被害者って言うのは受けた事の傷を言えないんだよDV被害者もそう 人の気持ちに寄り添えない人がこの問題を突いてもジャニーズ事務所の思う壺になるだけだよ ハリウッドで長い間性被害について語られなかったのもそれがある
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885: >>881 あのさ性被害者って言うのは受けた事の傷を言えないんだよDV被害者もそう 人の気持ちに寄り添えない人がこの問題を突いてもジャニーズ事務所の思う壺になるだけだよ ハリウッドで長い間性被害について語られなかったのもそれがある
でもその行為に耐えられない人達はこうして退所していった訳でしょ。 地位と名声と富と引き換えにその後の児童虐待を見逃して来た訳だから正直褒められるような存在では無いと思うね。
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894: >>885 でもその行為に耐えられない人達はこうして退所していった訳でしょ。 地位と名声と富と引き換えにその後の児童虐待を見逃して来た訳だから正直褒められるような存在では無いと思うね。
タレントは守るジャニーズ事務所は廃業に追い込むが大前提だよ それが守られないとジャニーズ事務所はなあなあで続くんだけど
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924: >>870 次々と入所してくる児童がこの先どうなるか知ってて放置してた訳だから一概に被害者と括るのには抵抗があるな。
そんなのもっと上の先輩も悪くて共犯になるんじゃね? 光GENJI、男闘呼組、少年隊、シブがき隊、たのきんトリオ、郷ひろみ ふぉーりーぶす、ジャニーズ(グループ名) ここが売れたくて黙認し続けたからSMAPTOKIOV6KinKiタッキー&翼とかまで巻き込まれたわけで すべて順繰り過去から共犯者加害者となる
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874: >>869 被害者なんだからそこは無理言うてやるな
それで利益を得てるんだから共犯者みたいなもんだと思うな
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882: これは想像でしかないけど、喜多川が最後にタッキーに託しのは性の問題だったんじゃないかな?と 秘密を隠し通して欲しいと で、BBCに取り上げられると分かってタッキーとして喜多川との約束を守れなかったので責任を感じて辞めたと 綺麗事かも知れんが案外、それがタッキーが辞めた真相だと思ってる
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889: >>882 これは想像でしかないけど、喜多川が最後にタッキーに託しのは性の問題だったんじゃないかな?と 秘密を隠し通して欲しいと で、BBCに取り上げられると分かってタッキーとして喜多川との約束を守れなかったので責任を感じて辞めたと 綺麗事かも知れんが案外、それがタッキーが辞めた真相だと思ってる
滝沢秀明はジュリー社長と揉めたから辞めただけ 給料2千万でこき使われてジャニーの遺言で副社長引き受けたけど何でも滝沢のせいにされて社長のジュリーは陰に隠れて滝沢的にはやってられんだろ
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966: >>889 滝沢秀明はジュリー社長と揉めたから辞めただけ 給料2千万でこき使われてジャニーの遺言で副社長引き受けたけど何でも滝沢のせいにされて社長のジュリーは陰に隠れて滝沢的にはやってられんだろ
2000万とか安すぎ スノーマンやストーンズの成功はタッキーのお陰なのに そりゃ辞めるわ
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